東京ジャスコ
僕らは東京に居る。
とうきょうの日常、
たくさんのサイネージ、
たくさんの人、
たくさんのノイズ、
たくさんの光、
たくさんのグラフィック、
たくさんのニオイ、
たくさんの思惑、
あっちではファインアート、
むこうではシュールレアリズム、
もうちょっといけば密教の曼荼羅が見れる。
むこうをふりむけばグラフィティが飛び込んでくる。
東京の多様性。
掴みきれない、次々に溢れ出すコンテンツ。
隙間さえ価値になるくらい乱立する建物。
欲望と好奇心がアンコントローラブルに反芻する。
離れたくない衝動に駆られ続ける。
なにも考えなくても感性に響く情報を吸える。
そしてさらにウェブに、ソーシャルメディアに包まれている。
東京はもはや田舎にあるジャスコである。
なんでも手に入る。
何を求めるでもなく求めてくる。
手に入れようとしなくても手に届く。
求める以上に求める。
東京ではそれに追いつく必要がある。
多様な事象を一気に感性に詰め込み、咀嚼できない日常に疑問が横切る日常に
追いついていく必要がある。
そうしないと、自分と向き合う時間がこの日常によって消失していく。
消失していることさえも消失していく。
東京をジャスコにしてみよう。
そろそろ自分の感性と暮らしを整理していいのではないだろうか。
自分の感性に。自分の身体に。聞いてみる。